ズボラ育児

親と子の信頼関係の構築・一緒に過ごす時間の重要性の考察

お久しぶりです。

久しぶりにサイト内のリンク修正等をしていたら、4年前…?に書きかけだった記事の下書きが発掘されました。

読んでみたらそれなりに面白い内容だったので、ほぼ修正なしで投稿しようと思います。

子どもと過ごす時間の重要性

きっかけは1つのブログ記事

先日こちらの記事を読みました

ameba公式ブロガーさんで、私が子育てブログを見始めた頃からずっと子育てジャンル内1位の方です。

さて、こちらの記事を読んだ私の感想は

あんこ
あんこ
あぁ~~~~見える、見えるよ~~~~

このままだと将来旦那が子どもたちになんだか遠慮されている姿が見えるよ~~~~~

と、思わず遠い目。

 

この記事の中で、長男くん:ちゅんたん(10歳)が

「ママにはなんでも頼めるけど、パパにはえんりょしちゃう」

って

あんこ
あんこ
あぁ~~~~

夫が一人で子供を連れだして遊びに行った経験がほぼ、ない。

 

要するにパパは
よく分からない存在なんやと思う。

あんこ
あんこ
あぁぁ~~~~

そして三男:ほーちゃん(4歳)のセリフ

私:「ほーちゃん、パパのことどう思う?」

「こわい」(即答)

あんこ
あんこ
ああぁぁ~~~~

ほ:「あ!でも、オレの言うことを聞いてくれる時もあるから好き!」

たとえばどういうこと?

ほ:「あのねぇ~、

チョコエッグ買ってくれるもん

あんこ
あんこ
これは身に覚えがありすぎるな(真顔)

※小さいころ父が割といろんなもの買ってくれるので母は怒っていた(笑)

ちゅいママさんのご家庭がどうこう、という話ではなく
(子どもたちもパパは好きなようですし)

子どもと一緒に過ごす時間が少ないとどうなるのか

という事を改めて考えさせられる記事でした。

部分引用のため前後関係で誤解をうんでしまうのも嫌なので
気になる方はぜひ!読んでみてください!↓↓

父との記憶を振り返ってみる

さて。

そんな私の幼少期、父は家事育児をするタイプではなく、圧倒的に母と過ごす時間の方が長かったのでどうだったかな?と振り返ってみたのですが

父に関する幼少期の記憶が全然ない

年一の家族旅行と、年数回ディズニーランドに連れて行ってもらったのと、

休日の朝(というか昼過ぎ)にトトロのめいちゃんの如く上にドシドシ乗って起こした記憶

しかない。

運動会とか来てたのかな・・・?母は来てたけどどうだったかな・・・?

元々幼少期の記憶がそこまで残っているタイプではないのですが、それにしても全然覚えてない・・・

近所のコンビニに一緒に手をつないで行った記憶だけ地味に残ってます(笑)

中高大学生の頃になると、母よりも父の方が圧倒的に私に対してゲロ甘だったので特に反発した記憶もないですが・・・

そして今現在。

父の存在は、私にとって

もう正直よくわからない(笑)

育ててくれたことに関しては感謝しているし、

それだけのお金を稼いだこともすごいな~と思います。

ただ一方で本当にこんなに娘(私)のこと甘やかしていいんですか、たぶん本人のためにはなってないですけどいいんですか?と思うこともありますし、

少しぐらい子ども見てるくらいしてくれてもええんちゃうの、と思う一方で

いや任せられない無理だなやめよう。という気持ちになるのも正直なところ。

あとはうちの旦那に対してなにしてくれちゃってんのマジでいい加減にしろよ?という気持ちもやっぱりあるし、

考え方が古いとか、もうそれどうにかならんの?って思うことも多々あります。

もう本当よくわからない。

 

一方、父も私に対してどう接すればいいのかよくわからないと思っていると感じます。

まぁ旦那と一悶着あった後、というのもあるでしょうが。

関わりたいけどどうすればいいのかわからないんだろうな~と。

(いや、むしろ現状がベストだと思っている感もある・・・?)

そして結果として現在、なぜかめっちゃ食べ物を貰う。

孫2人の様子も気になるので理由を付けては様子を見に来ますが、すぐにいなくなります(笑)

あとなんとなく【モノや金を与える=可愛がる】だと思っているフシがある気がします。

真相は定かではありません。
(確かめることはしない)

結局のところ、やっぱり【よくわからない存在】なんですよね・・・。

一方で、母との関係は

父がそんな感じだったので、小さいころの親の記憶=母です。

ほぼ全部母。

怒られた記憶や喧嘩した記憶もたくさんありますが、
(そしてその記憶の方が楽しい記憶より鮮明に覚えてるんですよね・・・)

それだけ一緒にいた時間が長かった、という証拠でもあると思います。

対して仲良くもない同級生とケンカしろって言われてもしませんよね。

ケンカに発展するほど話すこともないし、一緒にいないから。

 

もうすでに他界していますが、

今でもなにか悩みに悩んだとき、

あんこ
あんこ
あああ~~~なんでお母さんいないかな~~~

なんで死んじゃったかな~~~~~~~~~~

相談したいな~~~~~~~~~

となったことは、数えきれません。

私にとって母は、たしかに【よき理解者】でした。

そして父に相談したいか?と言われると・・・

あんこ
あんこ
まぁ・・・しないですね・・・

性格や考え方、性別の違いという問題もあるにはあるんですが、

それよりもなによりも

たぶんお互いに相手の事がよくわかってない

という理由が大きいと思います。

他の人(友人)の場合

さて、ここからは少し私自身のことではなく、他のパターンを見てみましょう。

私の友人(女性)にもいるんですが、

お父さんは(特に嫌いでもないけど)そんなに話さない

相談事は(言うこと腹立つから)しない

という人。わりと多いんじゃないかなーと思います。

しかも話を聞く限りお父さん自身は娘(友人)のこと大好きなんですよね(笑)

 

(何度も言いますが)当然、性格や性別の問題もあります。

ですが、ここで何よりも問題なのは

  • 子が【父親は自分のことを理解してくれていない】と無意識に思っていること
  • 父親が【子のことを理解できていない自分に気付いていない】ということ

だと思っています。

 

だってもし、親が自分にとって【自分を理解してくれている存在】だと思っていたら、相談すると思いませんか?

相談しても、話をしっかり聞いてくれるわけでもなく、自分が望んでもいない斜め上からの正論や持論でぶっ叩かれる相手にわざわざ相談しませんよね。

そしてこの正論や持論でぶっ叩いてくるタイプの親は、子=永遠に【子ども】であり、自分が守り、時には律すべき存在だと思っていて、

仮に成人していたとしても1人の自立した大人だと思って接していないんじゃないかな、と感じることがあります。

子が父親に相談事をしない理由

どうしてそんなことになるのか、と考えた結果。

私としては

圧倒的に【一緒に過ごす時間】が不足している

という答えにたどり着きました。

この【一緒に過ごす時間】というのは

【一緒に遊ぶ時間】や【会話をする時間】【しっかり子どもの話を聞く時間】

つまり【親が子どもにきちんと向き合った時間】です。

 

正直なところ、おそらく一番重要なのは学童期以降、

思春期を目前にして悩みが複雑化してきたあたりで、しっかりと話を聞いてくれたかどうか

というところがその後の関係性を左右してくるんじゃないかな~という気がしているんですが

そもそもその段階で【この人はちゃんと話を聞いてくれる人だ】と子どもに思ってもらえる存在であることが必要です。

つまり?

幼児期の時点で、親が【安心できる存在】【心を許せる存在】であること。

甘えられるとか、話を聞いてくれるとか、遊んでくれるとか。

親が【自分を大切に思ってくれている存在】として、子どもに認識されているか。

 

それはもう、

【親が子どもときちんと向き合った時間】が、幼児期の子どもの記憶に残るだけあるかどうか

これに尽きると思います。

もちろん時間の長さだけが問題ではなく、

その時間の密度、頻度、回数なども関係してくるでしょう。

物心がつく前の乳幼児期はどうなのか

じゃあ物心がつく3歳前後になったら、しっかり子どもの相手するからさ!

それまではどうせ「ママじゃなきゃダメな時期」だし、

幼稚園に入る前までは、嫁に全部任せるよ

とか言いだす人が出てきそうな気がしますね。

それでもまぁしないよりマシだと思いますが
(大体この発言するタイプは3歳過ぎても育児参加なんてしません←)

 

逆にこのタイプの人に聞きたいのですがが、

3歳の子どもと、親との関係はいつから形成されていると思いますか?

それまでの日々の積み重ねですよね。

物心がつく前、といっても当然の事ながら自我があります。

0歳の子どもだって半年前後から人見知りがあるくらいです。

常に一緒にいる人(主に母親)や一緒に暮らしている家族、兄弟に対しては人見知りしませんよね。

0歳の時からすでに、親と子の関係性の構築は始まっていると思います。

育児は日々の積み重ね

子どもへの接し方がわからないんだよね・・・

と、途方に暮れている方もみかけます。

子どもが何歳でも関係なく、

あんこ
あんこ
子どもと向き合ってこなかったら、わかるわけありません。

と声を大にして言いたい。

 

それはなぜか。

 

私は元々子どもが苦手なので特にそう感じるのかもしれませんが、

自分の子を超える年齢の子へどう接すればいいのかわかりません。

長男がもうすぐ3歳なので、経験値も3歳まで。

正直に言うと3歳でも息子と似たような遊び方をする、主に男の子相手ならできますが、

お家の中でおままごと♡人形あそび♡とか言われるとちょっとできる気がしない(笑)

 

また、たとえば急に「明日6歳の子と遊んでね!」と言われても無理です。無理。

なにして遊べばいいかわかりませんし、何を話せばいいのか、どんなものが好きなのか。

皆目見当もつきません。

 

子育ては、日々の積み重ねです。

成長し、変化していく子どもに合わせて親の対応、考えも変化し、成長していきます。

 

つまり、

じゃあ物心がつく3歳前後になったら、しっかり子どもの相手するからさ!

って

それまでほとんど関わってこないで、

急に3歳の相手を出来ると思っているのか?

という話ですね。出来んのかおまえ、と。

何歳でも同じことです。

しっかりと幼児期、学童期の子どもの話を聞いてこなくて、

中学生、高校生になった子の相手をできるのかと。

話も聞かず、相手も出来ない親を、誰が信頼してくれるのかと。

(まあどうしても思春期・反抗期はありますがそこは置いといて)

 

子どもが成長すればするほど

あんこ
あんこ
どう対応すればいいねーーーん!!

わからんわーーーーー!!!!!!

ということばかりで、少しずつ少しずつ対応していくのに精いっぱい。

離乳食の完了期が終わったと思ったら今度はイヤイヤ期にさしかかり偏食や遊び食べが激しくなり、

あれも嫌、これも嫌、これしなーい、あれしなーい、と床にひっくり返るイヤイヤ期がやっと収束したところで今度はトイレトレーニング開始☆

が、終わったと思ったら今度は入園準備・・・?身支度・・・?全然自分でしませんけど・・・?は?????????←イマココ

みたいな悩み事を1つひとつ潰して、工夫して、乗り越えて、親として成長しています。

子どもへの接し方がわからないんだよね・・・
あんこ
あんこ
じゃねーよ!!

こっちだって必死こいて対応してんだよ!

わかんねーとか言う前に自分でやってみろ!!!

と思うんですよね~

向き合うことから逃げた結果、子どもから【よくわからない存在】認定されて、お互いにどう接すればいいかわからない状態になるのではないでしょうか。

将来の親と子の関係性

子は親と育ってきた時代が違うので、当然価値観は違います。

そう。

子どもは、自分たちの血を分けた子どもであると同時に、

違う世代を生きていく全く別の存在です。

 

成長の過程を、

どんな環境で、

どんなことを経験し、

どんな友達と遊び、

なにを考え、感じてきたのか。

 

これを知らなかったら、もう他人と変わらなくないですか。

ただ、生まれてから一緒に生活した時間が長いから 【親子】だと認識している。

育ててくれたことに感謝はしている。

 

でも、子にとって親が【よき理解者】であるとは限らない。

【頼りたい存在】【頼って欲しい存在】であるとも限らない。

 

そうならないためにも、親は子に向き合わなくてはならない、

話をしっかり聞かなければならない、と思うのです。

どうなるかはわからないけど、将来

【親だけは、絶対に味方してくれる】という意味もない自信。

これだけは持ってほしいな、と思っているので

そうなるように、しっかり向き合っていきたいと思います。

おわりに

と、ここまでが4年前に書いた部分です。

だいぶシャウトしてます(笑)

でも「たしかにそうかもな」と思う部分も多々あったので、あえてそのまま投稿してみました。

きっと数年前の旦那にはかなり耳の痛い話。笑

現状では、いまの旦那は家事育児100%参加という変貌をとげ(なんせいま私が入院してる)、私自身も子育てに関する相談相手として、かなり頼りにしてます。

長男は6歳、次男は4歳になり、まだ拙い部分もありますが、かなり言葉での意思疎通が出来る様になりました。

ただ、今日これを読んで感じたのは、

「本当に私たち親は子供たちと向き合えているのか?」

ということです。

なまじ言葉が通じる分、乳幼児期と違って子供の意思を汲み取ろうとする努力を怠ってはいなかったか。

話を遮って指示を出したり、スマホを見ながら、家事をしながら、片手間で相手をしていたのではなかったか。

もちろん単純に「一緒にいる時間」は大切にすべきですが、その「時間の質」についても考えていかなくてはならないと感じました。

これから先、子供たちと一緒に過ごす時間はどんどん短くなっていくでしょうから。

現在から将来にかけての「親子の信頼関係」がどうなっていくかは、今の親子関係の延長線上にあり、日々の積み重ねです。

それを忘れず、いつか将来、人として信頼しあえる関係であることを目標に日々を過ごしていきたいと思いました。