さて、自他ともに認めるダンシャリアン・小倉あんこです。こんにちは。
こちらの記事では「断捨離を勧める5つの理由」を書きました。
要は「断捨離をすれば家事にかかる労力は軽くなるし、時短になるから時間も増えるぜ!」ということなんですが、
そもそもその断捨離をするのが大変やねん
・・・と、思っていませんか?
そうなんですよ。
いざ断捨離しよう、片付けようと思ってもなかなかうまくいかないんですよね。
かくいう私も何度も失敗しましたし、
断捨離本を読むだけ読んで、結果なにもしなかったことも何度もあります。
小学生の頃から片付けは大好きだったので(でも捨てない)きっちりキレイに収めることに関してはもう勤続20年以上の大ベテランです。収納グッズなども買いあさりましたね。
ただ「捨てる」というのが難しい。
別に捨てなくても「売る」とか「メルカリに出す」とかでもいいんですけど、手放すことが難しいんですよね。
さて、そんな私がなぜ「モノを手放す」ことができるようになったのか?
数回にわけて、私の断捨離の歴史を振り返ります!
今回は私の学生時代、「モノに対する考え方」が変わったきっかけについてです。
「執着」を捨てたきっかけ
モノに執着しまくっていた小中学生時代
私は小さいころからマンガ大好き人間でした。
少年サンデーなどの週刊誌も1年分くらいは常に保管していましたし、なかよしやマーガレット、LaLaなどの月刊誌や季刊誌も全部取っておきましたね。
さらに単行本もコレクションするもんだから、部屋中マンガだらけ(笑)
古本屋に通ってはマンガを買いあさり、新しいDVDが出たと言って買い・・・
誕生日プレゼントはマンガのフルセットとかw
「もういい加減入れる場所ないな」と心の隅で思ってはいたのですが、なにせ小中学生の限られたお小遣いの中で買った大事な大事なマンガたちです。
そう簡単に手放せるものではありませんでした。
単行本だけで800冊程保有していたこともあったので、おそらく週刊誌等を合わせたら1000冊近かったと思います。
何度か「これはもう読まないな・・・」と思い、売ろうと思ったこともありました。
でも古本屋に持って行ったところでせいぜい1冊10円程度にしかなりません。
下手したら0円。
週刊誌などは売れないから捨てるしかない。
自分の少ないお小遣いをはたいて買ったのに、そんな値段をつけられるくらいなら持っていた方がマシだ!と、結局売らずに帰ってくること数十回。(諦めが悪い)
そんな中、まさかの事件が起こりました。
紙魚(シミ)が現れた!
ある日、古い週刊誌をなんとなしに開きました。
すると紙の上をうごめく小さな・・・・
そうです。紙魚(シミ)です。
紙を食害する虫、ということで紙魚と呼ばれるそうです。
気持ち悪いんですよこれが。
画像は載せたくないので見たい方は検索してみてくださいね。
なんとなく海辺の岩場に生息するフナムシに似てると思います。
率直に申し上げると私は虫が大嫌いでして。
普段あまりフォントは大きくしない派なんですがもう本当に大っ嫌いなんですよ。
この記事書くのにちょっと検索したんですが、画像を見るたびにゾクゾクブルブル鳥肌立てる程度に大っ嫌いです。
小さかったんですけどね。紙魚。
ここで週刊誌をすべて処分することが一瞬で決定しました。
余談ですが、シバンムシも別の機会に少し発生していましたね。
紙とか段ボールは要注意ですよホント・・・。
捨てられた「宝物だと思っていたはず」のモノたち
古い週刊誌をすべて紐でまとめ上げ、ゴミ集積所まで運びます。
(ちなみにちゃんと資源ごみのリサイクルに出しましたよ!)
週刊誌の発行は年間で50冊程度なので、2年分ほどあったのでしょうか?
100冊くらい処分しました。
まぁ・・・部屋の広いこと。
週刊誌だと1冊の厚さが2.5cm程なので100冊で250cmですか。
さらに別冊LaLaなどの分厚い隔月誌等も処分したので空いたスペースはかなりありました。
不要になった収納ボックスもいくつか処分。
そして処分してしばらくして驚いたのですが、
処分したことを後悔したことがただの1度もありませんでした。
「あれ読みたいな」と思ったことがなかったんです。
確かに手元にあれば目についたときに開くこともありましたが、それも稀。
なかったらなかったで、なんの問題もなかったのです。
考えてみたら当然なんですが、100冊もある週刊誌を日々読み直すかって言われたら読み直さないんですよね。たとえ好きなマンガでも。
第一好きなマンガなら単行本買いますしね。
そこで疑問に思うわけです。
「自分が大切だと思っていたモノは一体なんだったのだろうか?」
この出来事がきっかけで、「これは自分にとって必要なものなのか?そうでないのか?」ということを少しずつ考えるようになっていきます。
「価値があるもの」とはなんなのかを問う
お金がなかった高校生時代
そして時は流れて高校生になった私は、非常に困っていました。
財政難です。
お小遣いが足りない。
(マンガ買って毎日買い食いしてたら足りなくもなりますわ)
運動部で毎日部活漬けだったのでバイトする余裕もなく。
必要経費(昼食代等)は親から支給されていましたが、欲しいマンガが買えなかったんです。(懲りてない)
こうなったら今あるモノを売って、現金化するしかない。
例え大した金にならなかろうが、0円よりマシだ、と。
ここで大量に残っていた読まなくなった単行本や、もう見ないDVD、やらなくなったゲーム類を売り飛ばしました。
買った時の値段と売った時の値段
当時、単行本コミックスは420円(定価400円+消費税5%)。
売った時の値段は10円。
まぁ、そんなものですよね。中古品ですし。
汚れなどもあるでしょうし、発売から時間がたてばたつほど価格が落ちるのが普通です。
そして古本で売られる時の値段は100円や200円。
古本屋さんの利益を考えれば妥当なんでしょう。
でも、なんとなく残る「やるせなさ」
あの時、自分の貴重なお小遣いからどうにかひねり出して手に入れたものが「10円」ですからね
この時大量に売った中には当然値段がつかないものもありました。
でも全巻そろった状態で売りに出しているので、値段が付かないものだけ残しても巻数が飛び飛びで数冊残るだけ。
値段がつかないものも引き取ってもらいました。
この時「モノを買う」という行為の後に「買ったものをどう手放すか」という問題が付いて回るということに気が付きました。
「欲しいから」と簡単に買っているだけではダメなんだと。
買った時は確かに欲しかったものだったんです。
ただ時間がたつにつれてそれが自分にとって「必要のないもの」になってしまった。
それがいけないというわけでは決してなく、至極当然の流れですよね。
時の流れとともに嗜好は変化しますし、必要なものも変わります。仕方がありません。
でも金額だけ見ると、単行本のコミックスなら420円ー10円=410円のマイナスです。
DVDやゲームだともっと金額は大きいですよね。
DVDだとおよそ3,000円のものが500円とかで買い取られますからその差2,500円。
その2,500円分の価値が、買ったモノにあったのだろうか?
そう考えるようになりました。
モノの価値とは
実際、ずっと買っていたから「なんとなく」買い続けていたものも中にはありました。
DVDも、少し見ただけでそのあとはお蔵入り。
そしてそれを並べたまま、時間だけが過ぎていく。
発売から時間がたてばたつほど需要も減りますし、市場価格といいますか、つけられる値段は下がっていきます。
これがきっと、何度も何度も見直したマンガとかDVDとかだったら話は違ったんですよね。
もう何回も見たし、400円(もしくは3,000円)払って買った価値があったな、と思えていたらよかったんです。
でもそうじゃなかった。
この時の「もったいないことをした」という後悔。
今でも鮮明に思い出せます。
もう本当にしょっぱ~い気持ちというか・・・恥ずかしいというか・・・
胸がきゅ~~~~~~~っとするんですよね・・・かわいい意味じゃなく・・・
頭を抱えて「あああああああああやめてえええええええええ!!!!」と悶える感じ。
たぶん、この時初めて「もったいない」の意味を身をもって理解したんだと思います。
「もったいない」の意味
この時は「もったいないお金の使い方をした」という気持ちしかありませんでしたが、
この経験が結果的に後々
「このモノにこの金額を払うだけの価値があるのかどうか?」
「これを買ったとして、自分はこれを本当に使うのか?使い切れるのか?」
ということを考えてから買い物するきっかけの1つになりました。
あとは買ったあとに
「これは必要なかった」
「思ったより面白くなかった」
などと思った時には、いかに大した金額にならなかろうが即刻売り飛ばした方がいいな、という思考に発展します。
(高校生の時点でこの思考に発展したわけではありませんでしたが)
手元に置いていても、自分が必要がないのであれば価値は0(ゼロ)です。
それならば、少しでもキレイなうちに、少しでも早く(マンガなどであれば価値が高いうちに)売ってしまった方が良い。
自分のためにも、その「モノ」のためにも。
早く、キレイな状態で売ることが、金銭的な損失が最も少なくて済みます。
失った金額は、さしずめそのモノたちの使用料と勉強料といったところでしょうか。
そして「モノ」にとって一番「もったいない」状態というのは、使われずに、家の奥底でホコリを被って、眠っている状態です。
そして月日が経ち、収納の奥深くから発掘されたころには
「古くて汚い」
「劣化している」
「時代遅れ」
など、到底使う気になれないようなものになってしまうのです。
本来ならば、誰かに使われて、役に立つモノだったはずなのに。
これこそ本当に「もったいない」ことなんだな、と思うようになっていきます。
まとめ
今回は私の「モノを手放す」という事に関する原点となった出来事について書きました。
なによりも大切だと思っていた、大量に集めていたマンガ・ゲーム・DVDたち。
中学生の頃、それらを処分したことで、
- 大切なモノだと思っていたけれど、実はそうでもなかったらしい
ということに気が付きます。
これがきっかけで、モノに対して
- これは自分にとって必要なのか?必要ではないのか?
ということを少しずつ考えるようになっていきます。
そして高校生になって、再度それらを手放したことで、
- 自分にとってそのモノは、自分が払った金額分の価値があったのだろうか?
- 「もったいない」お金の使い方をしたのではないか?
と「モノの価値」について考えるようになります。
この出来事以降、買い物をする際に
- 自分にとって本当に必要なものなのか?
- このモノにこの金額を払うだけの価値があるのか?
- 買ったとして、自分は本当に使うのか?
ということを少しずつ意識するようになっていきます。
もちろん最初からうまくいくはずもないので、このあともモノを買っては売り、買っては結果的に捨て・・・といったことを繰り返しますが・・・。
この感覚は年数を重ねるごとに洗練されてきていると感じています。
「断捨離」で言う「断行」ですね。
「入ってくるいらないものを断つ」という行動です。
実はこの2つの出来事は、私の中にかなり鮮明に残っています。
もう15年も前の出来事になりますが・・・
よっぽどショックだったんでしょうね(笑)
ですが、このあとすぐにモノを捨てられるようになったワケではありません。
両親も祖父母もモノが捨てられない、ため込むタイプだったこともあるのでしょうが・・・
私はこのあとも順調にモノを増やしていきます。
というか、そこまでして部屋を片付ける必要性がなかったんですよね。
※モノはそこそこ多かったですが、今回の出来事で捨てることにそこまで抵抗がなくなったのと、収納技術だけはあったので決して汚部屋ではありませんでしたよ!(名誉のために言っておく)
次回、一気に時間が飛んで私が24歳の頃のお話です☆
私が部屋を本気で片付け、モノを捨て始めるファーストステップを踏み出します!